アバドとクラプトン

指揮者クラウディオ・アバドエリック・クラプトンの間には(多分)殆ど接点はないだろう。アバドの後任となったベルリンフィルの主席指揮者サイモン・ラトルならばイギリス人だし、元々ドラマー出身の趣味の広い人だから将来クラプトンと共演!なんてことはないにしても、過去においてももしかしたら接点くらいはあったかもしれない。
この二人を並べたのには大きな意味はなくて、たまたま僕がどちらも今まで好んで聴いてこなかったこと、そして最近見直す機会があったこと、だけである。
アバドに関して言えば音楽的には「嫌い」としか言いようがなかった。彼に似合ったレパートリーというのも存在するとは思う。でもそうしたものでも例えばジュリーニとかムーティみたいな指揮者の方が僕には好みの場合が多かったし、ドイツ・オーストリア音楽に関する限りアバドの指揮するものを聴くのは殆ど耐えられない経験に等しかった。
その中でも特に耐えられない経験はアバドの指揮するマーラーであった。これは実演、レコード、ディスク共に全て個人的には本当にゴミ箱行きに等しい存在だった。
そもそもアバドカラヤン亡き後のベルリンフィルのシェフにならなかったら、僕はもう少し長いことドイツにいたかもしれない(笑)。それは冗談だとしてもあの辺りからドイツが大きく変わってきたことは確かで、いい悪いは別としてアバドベルリンフィルに迎えられたということも、そうした歴史の流れの一つの象徴的事件だったと思う。
その後のアバドベルリンフィルの仕事についてはいくつか興味を持って聴いてみた。中には面白いものもあったけど、基本的な認識は変わらなかった。ベルリンフィルと録音したマーラーについては更に幻滅したものもあった。勿論彼らの組み合わせのディスクを買うなんて僕には考えられない冒険だった。
そんな僕ではあったが、BSハイビジョンでアバドの特集が組まれてそれがマーラー交響曲を主体としたものである、となると一応興味はあった。ただで流れるのならば聴いてみよう、くらいの気持ちではあったが。ところがこれがびっくりする程素晴らしかったのである。びっくりしたと言えばこのアバドが振っているルツェルン祝祭管弦楽団というオーケストラが実に素晴らしい。正直このオーケストラでなければここまで感動はしなかったか、というくらい凄まじいオーケストラである。でも同時にこのオーケストラがそんなに素晴らしいのはアバドという人がいるからこそ、ということも良く分かった。
何しろこのオーケストラ、ベルリン・フィルの現・元首席奏者をはじめザビーネ・マイヤー、シュテファン・ドール、ブラッヒャー、クリスト、グートマン、ハーゲン弦楽四重奏団のメンバー、アルバン・ベルク四重奏団など世界のトップメンバーがずらりと並んだスーパーオーケストラなのだけど、団員の全てが本当に一丸となって音を奏でている。こういう「寄せ集めオケ」にありがちなエゴの主張が全く感じられない。皆本当に楽しそうに、しかしプライドと責任を持ってチームプレーに徹している。ザビーネ・マイヤーなんてベルリンフィルに最初いた頃(ちょうどその頃ドイツに渡って随分沢山聞きましたっけ)はソリストかと思うような自己主張の激しさで(そうでもなきゃ、あんなスキャンダルの中やっていけないのかもしれないけどね)びっくりしたけど、このオーケストラでのプレイは実に木管奏者全体のハーモニーが素晴らしくて、中でも彼女の押さえ気味のプレイは本当に素晴らしかった。
これは何も木管だけではなくて全員が同じ顔をして同じ視線で音楽をしているという感じなのだ。これは結局彼等が「アバドの元でならば」素晴らしい音楽が出来るという確信と喜びに満たされているからなのだろう。終演後のメンバーの満足そうな笑顔を見ると本当にそう思う。しかし・・・である。一体アバドはどうしてこんなに素晴らしくなったのだろう??「素晴らしくなった」=「過去素晴らしくなかった」というのは僕一人の思い込みかもしれないが、そうだとしてもこの僕の偏見を一気に覆してしまうこのパワーは物凄い。アバドの指揮でなんか一番聴きたくなかった、マーラーの二番、三番、そしてなんとブルックナーの七番までもが超絶的な名演だった。(まあ「トリスタン」とか、いくつか外れもあったのだけど、それにしても・・・)僕は一気にアバドファンになってしまったみたいだ。
さあて、これで過去のアバドのディスクを聞き返したら何か違う発見があるのかな(わらい)???さて、アバドだけでも長くなってしまった。クラプトンについては又後ほど〜